2022/10/21 制作の苦2

前回は作る上で自分が興奮できなくなってしまったというお話でした。

例えば仕事でめちゃくちゃクオリティを求めて作るのは超楽しい

最悪金にならなくてもいいくらい楽しいのに金が入るのもめちゃくちゃいい

金が入らなくていいなら個人制作ができるはずでしょう?

できないのです!はて?

 

金が入る→仕事という肩書きがある→既に価値が認められているものの価値を守る、向上させるというプライド→組織の中で優れていたいというプライド→他人にかっこつけたい

全てがモチベーション!

 

個人制作→作ることで寧ろ自分の至らない部分の露出→既にある作品に勝てない・尊敬→正直満足している→それらが迎合される好んでいる・属しているコミュニティがない

モチベーションが低い!

仕事だけをしていられないと思うのは

仕事の肩書きから外れた時に何も残らないのが嫌→自分の興味ある分野で何か活躍したい

ってとこでしょうか?

やはり自分はもっと評価されたいし良いものを作りたいとか、もっと楽しいと思える時間を増やしたり、他人に否定される原因で自分でもつまらない部分だと思ったら無くすようにしたかったり、する。

あと仕事の環境上自分の熱意が少し変な形で有り余っているというのがきになる

欲望が出せるうちはそこに力入れた方がいいね!

 

追加2022/10/24

つまり仕事ってのはやるメリットがかなり揃っているわけだけど、自分の興味ある分野での制作となるとかなり色んなエネルギーやらを消費するしリスクが高いってところ

気の合う人が周りに少ないとこういう状態になるんだと思う

昨日全く趣味が異なるといって良いお芝居をみたら、結局自分の価値観を受容してくるコミュニティとか領域の人間とうちうちでやってくのがいいとしか思えなかった

楽しそうに頑張ってる人たちの作ったものを見て全く面白いと思えなかったから逆もそうなんだろうとしか思えなかった

 

リスクを負って、運と努力で味方を獲得した結果に自己実現があるのかな

とりあえず仲間探しってのはずっとする必要がある

そうだな…結婚というものをもし30人くらいで行うものだったら…なんて考えたりするのです。