絵を継続して描いていてもあまり気分が良くない
描いている時は楽しいけど、実際に好きなものが出来上がらない
小学生の頃、ずっと絵や漫画を書いていたけど、あの頃の絵も別に好きではないし良いとは言い難い
ただ楽しかったし、それを楽しんでくれる友人のために描くのも楽しく、また自分が学年で1番絵が上手いと自負してたので気分もよかった
でもいろんな絵や漫画を知ったり、美術を学んだり、大学や受験やSNSやらを経て、自分にとっての「良いもの」の対象が変わって、自分の手癖や見慣れたものを拒否してしまった
すると、自分が作ったものを見て気分が悪くなることばかりになって、作るのが苦しくなってしまった
作ってる時の行為の楽しさが生み出したものにうまく出ない
瘡蓋を剥いたり毛を抜いてしまう癖について結構長い間、現在も悩んできたけど、それも行為が楽しいけど結果生み出すものは最悪
なんだろう?これ。
行為が楽しいけど生み出すものは最悪。これなーんだ?
絵を描いているとそれが同時に何度も起きて嫌だなあ
もっと集中したいし、出来上がったものがすごく自分好みだったらいいのに
よくインテリアやきる服を考えるの楽しいよね、って話をするけど、楽しいとも違う。
寧ろ苦しい
でもやらないと自分好みにならないから無理して頑張ってる。
自分の好みに合わせるのが本当に難しい。
理想が高すぎる?
今は素直に絵が上手くなりたいよ。。
あんまり努力できないのに理想ばかり高い。
いや、理想を下げるか努力するかしかないなら後者しか選べない。
努力。。
自己肯定感を上げる。。
まあその言葉が正しいとは思わないけど完璧主義なんだろうな。
理想が高すぎて、でも全くついていけないっていう。
理想が高いというか、、素晴らしいものを見ていいな〜ってなって、そうじゃないものを見てゲ〜ってなる、普通のことなんだけど、
他人と話すとみんなもっと広く肯定していると感じる
自分は癪に触るポイントが異常に広い。
ほとんど拒否してる。
なんなんだ?
理想(妄想)←現実逃避
家事や労働には完璧主義があまり反映してないのであまり苦を感じづらくなり、少しでも頑張ったら自分すげ〜ってなる
仕方なくやってやってる気分だし
制作における自分は理想が高すぎてなんでこんなもんしかできないんだろうってなって頑張ったのに悲しくなっちゃう
制作は不必要なものなのにわざわざやるから失敗が許せないのかな
てか色んなものを見たことが弊害かもしれない
身近な人達がこんな家に住んでます、こんな飯作ってますっていうのをすげー見てたら病んじゃうかも
自分は比較せずに済んでるのに(インテリアに凝り始めたからちょっもやばいかも)
映画も、たくさん見てる知人の存在が精神的にプレッシャーになってからちょっと見るのが辛くなった
本も、たくさん読んでいる人を見てから勝手に焦燥感を感じたりする。
コンテンツごとに私の中にある完璧主義の引き金をひく瞬間がある
もっとたくさんの身近な人々と関わる必要があるのかな?
自分が比較できないくらいたくさんの凡庸な人々を深く見ていればこの不安はなくなって楽しめるのかな
自分は今何も問題ないけれど、完璧主義によって苦しんでて?
来月死ぬと思って生きるのにコツコツした努力が必要?あ?
とりあえず、努力をしないといけないんだ。。
毎日スクワットしたり、英語の単語を覚えたり、本を読んだり、絵を模写したり、画材を調達したり、病院にいったり、お菓子を我慢したり、仕事を探したり、時間を守ったり、ゴミを出したり、掃除したり、家を整えたり、メイクをしたり、服を決めたり、
それを頑張っていれば失敗が許せるのかもしれない
なんか、そういう頑張りが、数値になって勝手に常に画面に表示されて欲しい。
実際は数字より残酷な映像で表示されてるんですけども。