嫌いになる程他人と近づきたくない…
もう感じる時点で嫌いっちゃ嫌いなんだけど、
嫌いっつーのはそもそもアレルギー的な反応で、近づきたくない、一定時間以上喋ると辛くなる、ほっておいてほしい、みたいな気持ちがたくさんになる
そんな気持ちになっているから、自分から近づこうとしないけど、別にわざわざ傷つけたり不快にさせて後々面倒なことになるのも嫌だから拒否もしない、
そうしているとずっとそのサインに気づかない人がいる…
ほとんどの人と一定時間以上一緒にいるのが苦痛なので、その人の問題ではなく私が他人に過敏であり、それを直したいとも思わない
今よりもう少し孤独でいた方がいいと感じるが、義理、甘えの精神から繋がりを完全に解くのも不安だし、継続して関係をつくることが関係における喜びを増やすことにも気づいている(重要)
だけどなんだか最近は他人に対して疲れている
他人の持ち出す話題にも考え方にも不快感を感じることがあって、
その度に自分はそう思わないということを伝えるのも意味があることと思えず、そういう時に色々考えるのも否定するのも受け流すのも疲労する
社交辞令かどうかも考えずに他人の気分をのせる癖がついてきた
とりあえず肯定すれば自分以外苦しまないから?社会人としては大成長か
そこに会話としての喜びやそれを行う確信的な意義はない
ああ…関係ないけど最近は面白い映画を見ることができて嬉しいな
あまりに期待とかができなくなったのでもう愛情はない
虫の他人に対しての自意識のなさを尊敬しよう
愛だどうだって未だに信仰的な意味しかないと思っている
私は信仰が薄くすぐに興味を失うので信仰を重視しません
ブームでしかないだろ
倫理も愛も一時的なブームだろ
これって悲しいことじゃなくて、すごく楽観的な話なんだ
ただ他人との関係でどうにかなる社会ではあまりそんなこと言っても得しないからそう思っている人たちは黙っている
そんなことばっかりだよな…
他人の信仰のために水をささないでいればフィジカルが矛盾を浴び続ける
気持ちのいいことではないよ