2022/11/15訓練校18

広告とかデザインとか美術の中では気になるものだったけど、がっつりその中にいると目眩がするな

本当に無限の営みの一部である、有象無象の大衆に向けた、終わりを想定しない継続される目的の、社会的な活動として。

 

深く学んだ訳じゃないけど、最近読んだ哲学で一番心惹かれたのはダーウィンについてのセクションで、プラトンアリストテレスの並びで見るダーウィンの進化論に何か安心を覚えた。

ヘーゲルキルケゴールにとっての羨望や憧れの存在は近づくことができないからこそ存在することのように見えて救いが無く感じるけど、それに対してダーウィンの進化論に基づくのは、多様になっていくのことがそれぞれの生命の進化途中であり常に変幻自在なイメージだ。

私にとって自分というものを自分の中に探すのは反省行為でしかない。(進化のための現状把握)

そしてそれぞれの思考についてもそれすら進化の一部なのだとして、[例えば戦場下であれば精神を保つために何か宗教を信仰するなど]、状況に応じて変幻自在であることができると思う方が自分には希望的。

最近は、自分の思考について理論的整理がついてわからなくて苦しかった生き方がなんとなくわかってきた気がするのに、それと他人と接する自分とが乖離しているように感じる。

仕事や好きなものや作品について考える時は密接な気がするのに、他人と接する自分にはかなりネガティブな反映をしている。

思ってないことを言ってしまうからなるべく人と話すのはやめようって。

まだ自分の思考と口らへんの機能がうまく連携できてないだけだろうか?

人と話すのを避けているから上達しないのかな。

他人は思ってないことを話しているという悩みに苦しんでいるようには見えないけどみんなどうなってんのよ。

気持ちのいいコミュニケーションの取り方がどんどんわかんなくなってる。

そこと接続してた思考がなんか改変されて一部壊れちゃってんのかも。