アートをデザインする

「デザインとアートは違う。

デザインは答えで、アートは問いといいます。」

「デザインは人が伝えたいことがちゃんと伝わらなくてはならないが、アートは自己表現なので自由なのです!!」

「ねえ、私の父はアーティストでしたが、人にコンセプトが伝わるように考えて作っていました。それはデザインをしていたというのですか?」

「デザインは理論に基づいて行われるのです。誰に、どうコンセプトが伝わるように、何をしたのですか?それが説明できるならデザインと呼んでいいかもしれません。」

「ユーザーの目的をかなえるために行うのだ」

「それらを明確化できてないのであればデザインとしてはカス同然。」

「アートは自由なのでどんなものがあっても優劣はつけられない。」

「デザインはユーザーを設定したり選び出すことでそれを明らかにできるのです」

「アートはその表象(または視覚以外にとっての表象にあたるもの)が先立ってつくられて(または作らざるを得なくなり)結果的にキュレーションによってデザインされ他人に見せたて納得されたり金と交換されたりする。」

「自由であるがためにその順番は不問です」

「金と交換したり他人が納得しないものを価値づけられない時、逆転するものが増える」

「もしくは、無意識にデザインを真似たものばかりが増える。デザインは人間が好むために、有益であるために存在する。だから人間はデザインを真似ていく」

「デザインは真似されるためにある」

「デザインは不要なののが削ぎ落とされていく」

「不要なものだらけのアート」

「合理的でない 納得させられない」

 

デザインとアートを分類すること

期間や何か限定していない人間が作った言葉を正確な境界線を作ろうなんていうことはかなり無意味

中間にグラデーションがあるから…

では極部にはアートとしか言えないものというものが存在するのか?

和製英語としての二つに名詞と動詞として使われる量にかなり差があるから言語的にモヤモヤするんだね、