悪臭を感じた時に放つあの言葉がかなり苦手
この感覚についてよく考える
最初は自分がその言葉を発した瞬間に自分とその言葉が結びつくことが嫌だからかなと考えてたんだけど、最近「まずい」「つまらない」とかもあまり好きじゃないことに気づいた
共通するのは抽象的な否定であり、感覚的なのに何かを否定しているのが腑に落ちないと感じるのかもしれない
「●●きらい」って聞いたら「なんで?」と思うしそこのが重要だと思うからね
以前記した映画の感想で否定的なところを細かく書きたくなるのと同じかな
何かを否定する時には具体化させることが礼儀だとでも思ってるのかもしれませんね
というかそういった二元論的な言葉はその理由によってすぐに「すき」「おもしろい」等に転がる可能性の強い言葉だと思う
その割にその極端な印象を他人に与えてしまう
でも逆にこれらの言葉を強調してよく使う人たちもよくみる(きく)
不安な気持ちに煽られるけどその人に不快感は感じない
寧ろ「すごい」と思う
この人は恐れないんだと
だから自分の不快感を無視してその言葉を真似して放ってきた時期もある
今はしなくていいんだと思えた
近いことを感じている人に出会えたからかな
あと単純に化学的な悪臭と有機的な悪臭はあまりにも質が違うので同じ言葉に表現するのも気になる
油絵具とかシンナーとか塗料の匂いは基本的に刺激臭だと思うけどわりとすき
あー蚊取り線香とか白檀の香りかぎたい