漫画を真剣にかこうとなってからその媒体の扱いの難しさに唸る
私の考え出すストーリーは主に、死との関わり方、言葉や性、自己という概念あたりをぐるぐるしているんだけど、それらの内容に集中すると、画が持つ役割が蔑ろになる
漫画や映像は、脚本の図解、視覚化という使い方もある
しかし漫画や映像による画を中心に言語化されないままの物語の方が美しい
だから物語を半端に言語で考えていくことよりも使っている媒体の上でこねくり回す、その媒体を理解することのが重要だと考える
そんなことはなんとなくわかってはいたが、今年作り始めた漫画はどうしても一度失敗作でもいいから漫画を作りたいと思ったのがスタートであった。
失敗してからそれを修正しようという考えで。
しかし実際はその自分の中で納得のいかない行為を進めることがかなり苦痛だった。
なので筆を置いて「なぜかけないのか」を考え続けてしまった。
これはあまりクリエイターが陥ると良くない思考回路だと思う。
「漫画をそもそも描きたいのはなぜか」
「すっげー面白い漫画を知っているから」
「もともと漫画が好きで、絵も自分で上手いと思うから、すげー面白い漫画を自分でも作れたらいいと思ったんだ」
「昔は物語が思いつかなかった。自分のつくったキャラクターが喋るのが嘘くさくて耐えられない」
「今はむかしよりどうでもいいと思えるから物語りがつくれるんだ」
「昔はすごくかっこいい愛されるキャラクターを作りたいとか願望があった」
「今は自分が考えている理想的な状況とか、特別な時間や関係とか、自分の好きなものの肯定とかそういうことができるのが一番だとおもう」
漫画は画の構成なのでそこに目的がないとかけない
視覚的な快楽について考える必要がある・・