2022/10/29 制作の苦3/グループ展

全然自分と違う立場、スタンスの人から学びを得る。

勇気を出して外出してよかった。

この人は思想と生活の全てが地続きで、自分の考える制作を継続できている人のイメージがある。(これはこの人が外部に情報を発信しているからなので、本人の意図としても公開を目的としない「制作のための制作」に当たるわけではないかもしれない)

この人はかなり外交的な人で、別に流行りに興味がないわけでもなく、己の判断に自信がありストイックな継続力があるためそういう結果を出しているようだ。

お互い共通して展示の意義や美術業界との距離感に慎重になっているということで、

どういう形なら楽しく作品を公開できるのか?という話ができた。

 

「グループ展の意義」というものは大学の時に何度か経験して非常に疑念を抱いた問題だ。

グループ展は個展よりさらにつまらなくなることが多い。(見る側が興味を失うという意味で)

みんなグループ展の成功に尽力を注げないからだ。

グループ展というものは責任が分散しやすく、利害関係が不明瞭な学生同士では結果忖度や遠慮やコミュニケーション疲れによって妥協に妥協された味のしないガムを誕生させがち。

交友関係で集まった人々が無理くりお互いの共通項を探してテーマをつくるタイプのグループ展は目的が分散すること多し。

キュレーションの価値を信じる客観的な視点と叙述のできる人なら可能かもしれないが、

そこに興味がないのであれば「基本的にはお互いのことはそんなによくわからないし興味もないけど集まった」目的を正直に考えた方がいい。

つまり馬鹿騒ぎをして気持ちよくなりたいっていうグループ展は目的を成功させられるが、「パフォーマンスってやる側は楽しいけど見る側は何が楽しいんだ?」っていうようなものに似た疑問が浮かぶ(来た人が楽しめる工夫がないのはなんか違う)

 

結局、展示は見せ物としてのエンターテイメント性もしくは教育や啓蒙が必要なのだろうか?