「心が傷ついた」という表現が嫌い
何故こんな嫌うのか、その言葉を否定すると社会でうまくやっていける自信がないので考えてみたい
心が傷つくとは、人から受けた言葉も含む暴力的なものに対してよく使われる印象
不快さが強すぎて強く記憶に残るという意味合いだろうか
この言葉は類似する語の「トラウマ」と比べると被害者意識が強い
トラウマには自分の失敗や後悔経験などが含有しているが「教室の真ん中で尿を漏らして恥ずかしい思いをした」ことで「心が傷つく」とは表現しないだろう
被害者意識の強い言葉には加害者を攻める意図がある
「傷つけられた」発言の真意はその加害者を攻撃するためにある
それによって得られる他人の同情などによりかなり強い攻撃になることもある
そういったこと自体は別に非難しないが、現代ではかなり効果的な攻撃になっている
物理的な暴力や明らかな暴言が否定されやすい社会の中でそういった避難をすり抜ける暴力性をもつ
いや、何が言いたいかはっきり言おう
「他人を使って攻撃すんな」
「他人の言葉で傷つくんじゃねえ」
「怪我したらてめーは泣いて他人にしがみつくのか?どんな原因でも怪我したら直すのはてめーだし他人は関係ねえ
おまえの問題なんだよ
おまえの気に入らないことは全部おまえの問題なんだよ
黙ってろって意味じゃねえぞ
黙ってたらおまえは気に入らないままだろう
うまく他人を攻撃せずに復讐するなり生きやすい環境をつくるなり!し!ろ!
人がどんな思想家だろうと問題なのは行動なんだろうが
お前が攻撃されたからって他人を攻撃したら他の奴がまた不快になるんだよ
それが仕返しでもな
お前の否定してるものになってんだよ
倫理観を盾に、大衆を味方につけることが最優先か
その行動の仕方をやめなさい
つまんねーんだよその泣き言
全部人間の不愉快になる問題は自身にあります!環境を変えられない自分に!
と思いました。
追記
2022/05/22
心のままの乱文すぎる!
まあ正直な気持ちであって実際社会に通用するとは思わない
なぜなら他人の気持ちはいつだってわからないのだから・・
きっと「そういう経験が自分にはないからそう思う」でジ・エンドォ!なんだよ
こまるよね〜なんかこの言葉が加害側の味方になることってない
犯罪者側の気持ちっていつだって無下
でも加害する者はきっと価値観が現在の倫理観のブームに合わなかっただけなんだと、思うんです。
今だと未成年との性交はアウトになるけど昔は日本でも古代ギリシャでも小姓的なものをよろしくやってたわけですから?(詳しくは無い)
価値観は時代によって変わるから現在の価値観が決して人類の発展の最先端である絶対的な正義だとおもうべきではないンジャーと思いま
ガタガタ言ってますけど
自分は多分この思想でいる限り傷つく人間を傷つけるし自分が社会的に立場を脅かされる存在だと感じる
でも経験できない限り私は苛立ち不信感を持つんだ
こんな思想であるから違う立場を示している友人を受け入れられない
傷つけないために近寄らないようにするしかない
それも一つの正解なんだと思うけど
私も非難されるのが怖い
きちんと話してみるしかないのかな
私が本当のことを言えばセカンドレイプとか言われてしまいそうな状態に
向き合い方がわからない。。
できることなら素直に、他人を憎まずにいたいわけ